
インタビュー第3回目は
慶應義塾体育会スケート部ホッケー部門監督、
長谷川勉さんへのインタビューです。
今年のチームは監督の目にどう映るのか、
現役の頃のお話、そして監督として感じることについて伺いました。
プロフィール
長谷川 勉(Hasegawa Tsutomu)
慶應義塾体育会スケート部ホッケー部門監督
・ 昭和61年法学部政治学科卒
・ 慶應義塾高等学校出身
・ 現役時代のポジションはFW
・ 現役時代の背番号は、3番
・ 大学4年生では主将を務める
Q長谷川監督は慶應義塾大学アイスホッケーチームの監督になられて何年目ですか?
A「3年目です。コーチは5年間やりました。」
Q就任当初のチームと今年のチームで一番違うと感じるところはどんなところですか?
A「今年のチームは、2年生〜4年生の各学年の部員数に比べ1年生の部員数が多く、若さにあふれているチームだと思います。また、1年生でも即戦力になる選手が多い事はとても有り難く、就任当初のチームとは、その点が少し違うかもしれませんね。1年生諸君には、高校生の時とは違う大学でのパワーとスピードを、若さで乗り越えて欲しいと思っています。」
Q一部に上がったときのチームはどのようなチームでしたか?
A「私は、現役時代に1回、コーチで1回、合計2回にわたって1部に上がった経験があります。その両方に共通して言えるのが、皆で決めた戦法を徹底した、という事でした。戦法は相手によって変える訳ですが、その戦法を徹底することが重要なのだと思います。」
Qそのチームと比べて今年のチームはどう感じますか?
A「毎年チームには、良いも悪いもチームカラーがありますので、1部に上がった時のチームと比べる事は難しいのですが、今年は1年生が多い事もあり、どんな相手にもチャレンジ精神を持って立ち向かって行く勢いがありますので、必ず良い結果が出ると思っています。」
Q一部にいけるチームとはどんなチームだと思いますか?
「算数では、1+1=2ですが、チームプレーで戦うスポーツでは、1人+1人=3人、4人、5人、という計算もあり得ます。つまりチームの力というのは、チームが一丸になると想像を超えるパワーを出すものだと思います。1+1が3以上になった時、そのチームは1部へ行かれるでしょう。」
Q長谷川監督が現役の頃というのは今から何年前になりますか?
A「1982年4月〜1986年3月の4年間でした。約20年前って事ですね。」
Qその頃のチームはどのようなチームでしたか?
A「私が1年生の時、入替戦で日本大学に勝利して1部に行きました。ほとんどが4年生と3年生で構成されたチームでしたが、私は第2セットのレフトウイングとして、その入替戦に出場させてもらいました。4年生の決めた戦法を、全員で徹底した事が良い結果をもたらしたのだと思います。
2年生の時の1年間は、1部リーグで試合をした訳ですが、とにかく人数が少なく、FWはギリギリ2セットで、DFは3人まわしで戦いました。健闘及ばず1年間で2部に落ちてしまいました。
3年生と4年生の時は、現在の慶應義塾と同様に1部リーグ復帰を目標に掲げて戦いましたが、残念ながら良い結果を出すことが出来ませんでした。」
Q選手として長谷川監督は慶應義塾体育会というものをどのように感じていましたか?
A「私は、幼稚舎と普通部で剣道部に入っていました。その時から大学生の体育会剣道部の部員達(現在、幼稚舎の主事の加藤先生など)が剣道を教えに来てくれたり、正月の寒稽古に参加させてもらったり、体育会の方々と接触する機会が多くありました。アイスホッケーは高校から始めましたが、大学を卒業するまでの7年間アイスホッケーを続ける決意がありました。せっかく慶應義塾に学ぶことが出来、そしてスポーツに於いて慶應義塾の代表として他校と戦う事が出来るのは、体育会だけだからです。暑い真夏の季節でも学生服を着用することに、常に誇りを感じておりました。」
Q4年間で一番辛かったこと、一番うれしかったことはどのようなことですか?
A「まずは辛かったこと。1年生の時ですが、合宿の時に必ず4年生の中山さんに「飯練」と言われ、死ぬほど・・本当に死ぬほど食事を多く取らされた事です。軽い体重を重くする為、という理由により合宿の食事の時には必ず中山さんの隣に座り通常の2日分のご飯を1食で胃袋の中に詰め込まされました。正直言って、そんな事をしても当時は全く体重は増えませんでした。(卒業後、約10キロ増えましたが・・・笑。)
嬉しかった事は、当時体育会ゴルフ部女子(4年生時は主将)だった現在の家内が、私が4年生の時の入替戦に敗れた時、観客席で涙を流している姿を見た時でしょうかね・・・すみませんね、軟派な回答で・・・。でもこれ、本当なんですよ。4年間、極めて硬派に過ごしてきて、練習や合宿そして試合など、アイスホッケーが最優先の生活をしていて、普通の大学生がするお洒落なデートなど殆ど出来なかったのですが、4年生の最後試合に敗れた時に、家内が一緒になって涙を流してくれた事が、とても嬉しかったのです。数年前までは、この手の質問には必ず、「1年生の時に1部に上がった事です。」って答えており、もちろんとても嬉しい出来事でしたが、家内もこのホームページを見るでしょうし、日頃の感謝の気持ちも込めて、このようにお答えしました(笑)。」
Q慶應義塾体育会で4年間過ごしたことを今振り返ってみてどのように感じますか?
A「卒業して分かりました。学生時代はアイスホッケーに明け暮れていて、体育会の素晴らしさなど分かりませんでしたが、卒業して保険会社(現:日本興亜損保)に就職した時に、4年間当たり前にしてきた事がものすごく役に立った事を、今でも覚えています。特に時間厳守についてです。遅刻をしないことは当たり前の生活でしたが、結構それが出来ない人が多いと言う事が分かりました。学校時代の成績が良く、漢字も良く知っていて計算も速く、英語もペラペラっていう人がいても、約束の時間にルーズなだけで、その人には×マークがつきます。一方私は、「時間厳守」「礼儀作法」「整理整頓」だけは誰にも負けないという気持ちを持って社会人生活をスタートさせたところ、入社から5年経った時には126人の同期入社の中、トップで主任に昇格しました。因みに私の学生時代の成績は、4年間でAは5つです。内訳は、基本体育、選択体育、保健体育、英語、人類学の5つです。英語と人類学のAは、多分先生が間違えたのだと思います(笑)。
いずれにせよ、皆それぞれ4年間の大学生活があるのだと思いますが、私の場合は体育会が育ててくれた精神が、特に社会に出てから役に立っており、会社を経営する立場になった今は、4年生で務めた主将の経験も役に立っています。とても厳しかった中山先輩を含め、体育会に心から感謝しております。」
Q監督として選手に望むことは何ですか?
A「相手がある勝負には、必ず勝ち負けという結果がついてきます。しかし、その結果の良し悪しにはこだわらず、全ての場面で全力を出してもらいたいと思っています。頑張れば、必ず良い結果がついてきますから。」
Q長谷川監督自身が思う理想の監督像とはどのようなものですか?
A「選手にも言ったことがありますが、私は選手達の応援団長である、と思っています。監督だからオレのチームだ、だからオレの方針に従って、そしてオレについてこい、という監督は、社会人又はプロスポーツでは通用しますが、学生スポーツにはそぐわないと思っているのです。4年間しかない選手達が、各場面に於いて全力を出せるように、良い環境を作り、応援してあげたいと思っています。丁度良い距離にいる監督、それが選手にとって理想の監督ではないでしょうか。」
Q監督として選手と接する際に一番気をつけていることは何ですか?
A「色々なことを、押し付けないように心がけています。選手諸君が自ら進んで考え、そして行動する、という事に期待をしていますので、まずは話を聞くことから始めるように努めています。それと、女子マネージャーには子供扱いをしないように気をつけています。私の娘と同年代の為か、子供を見ているように思えてしまう事があるので、大人扱いするように気をつけています。」
Q監督の魅力は何だと思いますか?
A「監督という肩書きに魅力を感じた事はありませんし、何が魅力だか分かりません。可愛い後輩とお世話になった部に対し、恩返しが出来ればと考えて監督をお引き受けさせて頂きました。強いて魅力を言うならば、試合を観客席ではなくベンチから観戦できる事でしょうかね(笑)。」
Q最後に一言お願いします!
A「タク!質問多すぎ。(^_^;;; 。IT班の皆さん、ご苦労様でした。」
長谷川監督は普段はとても気さくな監督で、人気者です。
このインタビューを通して普段あまり話されることがない、
長谷川監督の内面に触れることができたのではないかなと思います。
現役で一回、コーチで一回。
今年はそこに「監督として一回」という言葉を加えられたらなと思います。
長谷川監督を胴上げしましょう。
(3年 平沼拓)